My favorite Three Kingdoms

三国志に特化したコラムをやりたいという思いから開設しました。演義や正史に拘らず楽しみながらやっていきます。

【連載16】相手のイメージ

学生での新学期の時や、就職して新しい職場に来た時、もちろんそこから新しい人間関係が始まります。

初対面で、最初はお互いの事がよくわからないので、相手もそれなりに気を遣ってくれたり、緊張感を持って接っしてくれる人が多いのですが、やがて一緒に居る時が長くなるにつれて「ああ、この人って、こういう性格なんだ。こんな考え方をする人なんだ。」とお互いの事がわかり始めると、いつの間にか相手の態度が変わっていて、「あれれ?今まで親しいと思っていたのに…」という経験をした事は無いでしょうか?

人は、相手に対するイメージが出来上がってしまうと、どうしてもそれに縛られてしまい、それをなかなか覆えす事ができないものなのです。

三国志には、その人間心理を利用して意表を突いた策が用いられています。

 

呉の二代目君主である孫策に仕えた名将に、太史慈(たいしじ)という人物がいました。

ある時、北海国(位置的には朝鮮半島の近く)の宰相だった孔融(こうゆう 孔子の子孫)が、黄巾族の大軍に包囲されるという大ピンチに陥った事がありました。

太史慈は、過去にその孔融から恩を受けた事があったので、何とかして助けてあげたいと思っていたのですが、なにぶんにも多勢に無勢。

助かるためには、近くに駐屯していた劉備に救援を求めるしか方法がなかったのです。

「よし、とりあえず劉備にメールかLINEでもしておいて、返信を待ってみるか。」なんていう時代ではありません。

この大軍の包囲網を何としてでも突破するしかないのです!

そこで太史慈はある作戦を実行に移します。

黄巾族の大軍が、完全に城を包囲しているにも関わらず、部下二人を従えて城門を開き、外へ出ていきました。

「むむ!やる気か?」と黄巾族の大軍たちに緊張が走りましたが、それをよそ目に太史慈は、馬から降りて標的を地面に突き刺すと、黙々と弓矢の練習を始めたのです。 

黄巾族の大軍たちが怪しげにその様子を見守っていましたが、太史慈は数分ほど練習をした後、そのまま城の中に帰っていきました。

その翌日も、そのまた翌日も、太史慈は大軍の兵たちが見守る中、黙々と弓矢の練習を始め、数分もするとそのまま城の中に帰っていきました。

このような状態で包囲が長引いた為に、黄巾族の大軍は緊張が緩みだし、やがて太史慈への警戒心も薄れていきました。

まさにこれこそが太史慈の狙いだったのです!

その翌日も、いつものように太史慈は城門を開けて弓矢の練習を始めました。

既に黄巾族の兵たちは「どうせまた弓矢の練習をして、城へ帰るんだろ??いくらなんでも、この大軍の包囲を突破するなんて無理に決まってるんだって…」とすっかり思い込んでしまったのです。

その時、「今だ!!」と突如、太史慈は馬に飛び乗り鞭を入れると、一気にその包囲網の中へ飛び込んで行きました。

「あ、あわわわ、、、」と完全に不意を突かれた黄巾族の大軍は、対応が遅れた為に取り逃がし、太史慈は見事に大軍の包囲を突破して劉備の元へ駆けつけて救援を求める事が出来ました。

 

太史慈が黄巾族の大軍に植え付けたイメージをまとめますと、

太史慈は、毎日弓矢の練習をするのが日課である。

太史慈は、この大軍の包囲を突破なんてできるわけがない。

黄巾族の大軍は、この二つのイメージに縛られてしまった為に、いとも簡単に取り逃がしてしまったのです。

もし、このイメージに縛られなければ、きっと太史慈もなす術が無かったでしょう。

 

前述の人間関係においても、相手のイメージに縛られる事なく、ありのままを受け入れてくれた人こそが、きっとあなたの本当の親友であり、そして伴侶であると私は思います。