My favorite Three Kingdoms

三国志に特化したコラムをやりたいという思いから開設しました。演義や正史に拘らず楽しみながらやっていきます。

【連載17】ライフプラン

最近は、これからのライフプランについて考えていく必要性を感じています。

本来ならば、早くから考えておくべきなのかもしれませんが、日常の生活を過ごしている中では、なかなか意識できないものです。また、考えていたとしても、実際には自分が思い描くようにはならない事のほうが大半なのかもしれません。

私はこれまで、幸いにも大病を患うような事はありませんでしたが、20代後半から30代にかけての約10年間はリストラ、義理の親とのトラブルによる離婚。それがきっかけで自分の子供とも面会が叶わなくなり、さらには2度の倒産と続き、周りの友達と比べて何事も出遅れたような思いがありました。

それでも『常に焦らず腐らず』をモットーにして、自分なりにコツコツと歩んできた事で、自然と親しくしてくれる親友や恋人にも出会えて、また今の職場にも勤める事ができています。

ライフプランというよりも、自分のライフスタイルで今があるという状態です。

 

三国志劉備は、衰退した漢王室の復興を掲げて天下統一の野望を抱いていましたが、旗揚げから20年が経過しても未だに流浪の身という有様でした。

同時期に旗揚げした曹操や先代からの後継者である孫権は、既に国家の基盤を形成していたのです。

もちろん劉備の中で、ライバルから大きく出遅れたという思いでいっぱいだったでしょう。

しかしそれでも劉備は、自分の志を決して諦める事はなかったのです。

ある日、劉備はそんな自分の志を実現する為のプランを提示してくれる人がいると聞きつけました。その人の名は諸葛亮(孔明)

劉備は、わらをも掴む思いで諸葛亮の元を訪ねて頭を下げました。

そこで諸葛亮が提示した大戦略は『天下三分の計』というものでした。

諸葛亮曰く「劉備殿が今の状態でいきなり天下統一を目指すのは絶対に無理です。そこでまずは、荊州(けいしゅう)という土地を確保して下さい。荊州を治める劉表という君主は、恐らくもう先が長くありません。民衆も新たな君主を求めていますので、劉備殿の人徳があれば大丈夫です。また、荊州は土地が栄えていますので、ここを押えておくと戦略上とても有利になります。

その荊州を治めた後は、西へ向かい益州(えきしゅう)という土地を獲るのです。

益州の君主の劉璋(りゅうしょう)は暗愚と言われており、民衆の不満も高まっております。

こちらも劉備殿の人徳があれば民衆は必ずついて行きます。また、この益州という土地は天然の要害に囲まれており、攻め込まれ難いという利点もあります。

このように荊州益州を基盤にしますと、中原(中国大陸の北半分)を支配する曹操と、江東(中国大陸の東側)を支配する孫権と共に劉備殿は第3の勢力として渡り歩く事ができます。そして次に、孫権と同盟を結んで曹操と対抗して下さい。劉備殿が今後生き残る為には、孫権とは絶対に争わずに仲良くするのです。

『東は孫権と和し、北は曹操を防ぐ!』これを肝に銘じて下さい。このようにして巨大な曹操に当たれば、必ず劉備殿の天下が見えてきます!」

ライバル国の力関係、攻めとる国の情勢、その土地の利便性などを分析して、劉備が流浪の身から一国の皇帝になる為に考え出された壮大なるプランなのです。これは、諸葛亮劉備の為に提示したライフプランのように私は思いました。

そして、このライフプランを諸葛亮は実践してみせたのです。

 

私も「これからこのようにしていきたい。こうすればもっと楽しく過ごせるのでは?」といった思いを大切にして、それを自分のライフプランに落とし込めるようにしていきます。