【連載10】偉大なる人物の共通点
世の中には、マイケルジャクソン氏や尾崎豊氏、そしてアップル社のスティーブ・ジョブズ氏など、亡くなられてからもなお、現代の人達に影響を与え続けている人物がいます。
『死せる孔明生ける仲達を走らす』という言葉があるのですが、そのような人物を喩えた故事成語として今に伝わっています。
西暦234年、三国志のハイライトとも言われている五丈原の戦いで、蜀軍率いる諸葛亮孔明(以下孔明)は、魏軍率いる司馬懿仲達(以下仲達)と対峙していましたが、国力に勝る仲達の持久作戦で、さすがの孔明も為す術がありませんでした。
有利な立場にある仲達としては、こちらがリスクを負ってまで戦わなくとも、持久戦にさえ持ち込めば、そのうちに相手は食糧が尽き、病を得ていた孔明も持ち堪えられずに撤退するだろうと読んでいたのです。
仲達の読みどおり、蜀軍の消耗は日に日に増していき、やがて孔明も、自らの死期が迫っている事を悟ります。
「このまま指揮官の私が死ねば、我が蜀軍はきっと仲達の思うがままにしてやられるだろう。どんなに頑張っても、魏軍には及ばない…悔しい。だからせめて最後の最後に、我が蜀軍の意地を見せてやるんた!」
そう呟くと、孔明は臣下にある計略を授けて息絶えます。
かたや仲達は、蜀に送り込んでいた間者(スパイ)からの知らせで孔明が死んだ事を知ると、「はいはい、待ってましたぁ〜!」と言わんばかりに、これまでの持久作戦からすかさず反転。
全勢力を挙げて猛追撃を始めたのです!
「孔明のいない蜀軍など痛くも痒くもないわい。ダッハハハー!」
ところが、死んだはずの孔明が崖の上から突如として姿を現したのです!それはどう見ても孔明です。
そして劣勢だったはずの蜀軍は、反撃の構えを見せました。
度肝を抜かれて驚いた仲達は、「ま、ままままままままままままままままままじでぇぇ〜!!またしても孔明の計略なのか??これはどういう事だ!」と間者(スパイ)を問い詰めましたが、唖然としたまま「孔明は間違いなく亡くなった。。」としか答えない。
しかし、どう見ても孔明がこちらを見ている。
仲達は完全にパニックに陥り、慌てふためいて撤退しました。
ところが何故か、孔明率いる蜀軍は、追撃の構えを示したものの追ってはきません。やがて不思議に思った仲達は、それが孔明の木像だった事を後から知るのです。
この計略の目的は、魏軍を攻撃して勝つ事ではなく、劣勢である蜀軍を仲達の追撃から守り、全軍無事に撤退をさせる事にありました。
日頃から、孔明の計略に苦杯を舐め続けていた仲達は、木像にすら怯えててしまい、逃げてしまったのです。最後の最後に意地を見せた蜀軍。
つまり、孔明死してもなお仲達を走らせる!という事です。
偉大なる人物は、その死後も残された人達に影響を与えるという点で、三国志の時代から共通していると言えるのではないでしょうか。
また、この故事成語で誤解をして欲しくないのは、仲達が孔明よりも決して劣っていたという訳ではなく、仲達が他に類を見ない天下の名将であり、孔明と常に名勝負を繰り返していたからこそ、この故事成語が生まれたという事です。
何を以って自分が生きた証とするのか…三国志から考えさせられます。