My favorite Three Kingdoms

三国志に特化したコラムをやりたいという思いから開設しました。演義や正史に拘らず楽しみながらやっていきます。

【連載18】劉備の部下掌握法

劉備の部下掌握法について考察をしてみます。

『魏』を建国した曹操は宦官(かんがん 皇室のお世話をする去勢された男性のこと)の孫ではありましたが、官僚出身という事もあり、天下取りに乗り出した時点ではそれなりに恵まれた身分でした。また『呉』の孫権も、父親の孫堅と兄の孫策が国の基礎固めをした後を引き継いだ3代目の君主という身分で、これまた有利な立場ではありました。ところが劉備は、自らの土地も人脈も地位も無く、田舎で草鞋(わらじ)を折って生計を立てているという身分でした。

曹操孫権に比べると、劉備を取り巻く環境は格段に厳しかったと言えるでしょう。

そんな育ってきた環境も影響しているのか、三国志演義での劉備は、情の深い、誠意のある、非常に志の高い人物と言われています。

まるで『どんな海よりも深く、どんな山よりも高い』といった誠意を示す事によって相手の心を開かせ、優秀な人材を次々と自分の配下にしていきました。さらに、劉備にしかない人間的な魅力にたくさんの部下や民衆が惹かれていったのです。

 

例えば、強烈な個性の持ち主である関羽(かんう)と張飛(ちょうひ)という武将がいたのですが、この劉備と出会ったとたんに、普通の人には無い『何か』を感じて心を掴まれてしまい、「もう俺たちは死ぬ時も一緒なのさ!」とまで言わしめるというこの凄さ。劉備はそれだけ人を惹きつける人間的な魅力があるという事がわかります。

その後、彼らと共に戦場を駆け巡りながら天下取りに乗り出していき、かれこれ20年もの間、模索をしていくのですが…いつまで経っても流浪の民

 

劉備はやがて、筋肉自慢の部下だけでなく、知恵がある優秀な参謀を自分の部下にする必要があると考えるのです。

そんなある日、【連載17】でも記載しました諸葛亮(孔明)という賢人がいると聞きつけます。

しかし、いくら賢人で名高いとは言え、まだ何一つ実績の無い、年齢も劉備より20歳年下のヒョッ子同然の若者です。側にいた関羽張飛が「ホンマに大丈夫かいな?」と疑う中、それでも劉備は自ら、その諸葛亮の家を三度も訪ねるのです。そして、「お前のその知略で、どうかこの腐敗した国を救ってくれ!頼む!俺にはお前が必要なんだ!」と心からの誠意を示します。感激した諸葛亮は、生涯に渡って忠義を尽くす事を誓いました。

これは故事成語にもなっています『三顧の礼』というエピソードです。

目上の人が、ある人物(目下の人)を信任して手厚く迎えるという意味で使われています。

つまり、三顧の礼で迎えられるという事は、とても誇るべき事なのです。

例えばプロ野球では、シーズンオフの時期等に監督が目をつけている選手と交渉をする際、「星野監督自らが金本選手を訪ねて、三顧の礼を尽くしました。」といった使い方をします。

 

人間は感情を持つ生き物ですから、誠意を尽くされると、誰しもが心を動かされるのではないでしょうか。

これが劉備の部下掌握法なのです。